原因を問い詰めてもほとんど役に立たない!子育ての問題は摩訶不思議
幼稚園バスに乗りたくない、という長男。絶対に原因があるはずと思っていた私はつぎつぎと質問をはじめました。
「幼稚園が楽しくないの?」
「うんん、楽しいよ」
「バスが嫌いなの」
「・・・・・」
はっきりした理由はわかりませんでした。
私がムリをしてでも、朝は送ってあげるべきかな?
だってまだこの子は3歳なんだもの・・・・。
色んな思いが交錯しました。母親として、どうしたら「正解」なのか、わたしなりの「答え」が欲しかったんですね。
そして、入園して3日目の朝、
幼稚園バスに乗るのを嫌がる長男のそばで、バスに同乗していた園長先生に、思い切って相談してみました。
「あの~、この子はバスに乗りたがりません。私がバスを利用しないで、園まで送っていくべきでしょうか?」
園長先生の答えは予想外のもの!!
「それはね、バスの問題ではありませんよ。お母さんが、しっかりと、送り出してあげてくださいね。」
えっ?バスは問題でないの?
園長先生にそう言われて、私はハテナ(?)が頭の中にいっぱい。。何のことかさっぱりわかりませんでした???
本当の問題は、その奥に隠れていることばかり
園長先生:
「子どもは、自分が泣くことで、お母さんが子どもを甘やかせることを、無意識的に分かっています。また、お母さんの戸惑いや不安に子どもが敏感になり泣いてしまうんですよ。
だからね、新しい環境への戸惑いをお母さんの 強い意思と笑顔で 送り出してあげて下さい。」
わたし:
「あ、はい・・・(頭の中は??だらけ)」
園長先生に、
子どもの問題 でなく ワタシ?つまり 親の問題 だと言われて、正直驚きました。
確かに心が揺れ動いておりました。
「わたしが揺れると子どもも揺れるんだ・・・」
そう理解できたので、次の朝は、バスに乗るよう しっかりと送りだそうと 心に決めました。
どんなに「バスが嫌だ」 と泣き叫んでも、今日はブレないぞおう!
覚悟〜〜〜〜
ですが、、、
なんと予想に反し、長男は驚くほどスムーズにバスに乗り込みました。
えっ?????
今日は、ぐずらないの????
お母ちゃんが、揺れずに、”こころ”が 決まったことを 感じとって、
無駄な 抵抗は しなかったのかな?
子どもも揺れなくなったのかな?
あきらめたのかな(笑)?
子育てとは、時に、母親であるわたしが、グッと 腹をくくらければダメだ!と痛感した 事件でした。
欲しかったのは、ブレない軸と信念
子どもの行動には、色々な原因や問題が潜んでいることがあります。
この時、表面的にでてきた問題は「幼稚園バスに乗りたくない」ですが、問題の根本的なところにあるものは、別の問題でした。
私の「心配と不安なビミョウな感情」が、長男に伝わり、それが彼の不安になりわたしを「揺さぶる」ことになったのかなと思います。
当時の私には、それが何かわかりませんでした。
子どもの問題って、、、、他人のことは理解できても、当事者として渦中にいると、本当にわかりません。
もしあの時、幼稚園バスをやめて、毎日幼稚園に送って行っても、今度は別の「ワガママ」を言ってきたでしょう。
なぜなら、わたしが変わらない限り、子どもの不安は解決されないからです。
そして、子どもは不安な親にSOSを出して揺さぶり続けます。
子育てって、ホントに奥深いです・・
根本的に解決されていないと、また同じ問題がやってくる
園長先生の助言を得たこともあり、それから長男はすんなり幼稚園に行くようになりました。
でも、それだけでは、私自身は何も変わっていませんでした。
なので、二男が幼稚園に入園した時にも、同じような問題が繰り返されました。
ちなみに、二男の場合は「幼稚園バスに乗りたくない」ではなく、「幼稚園の制服を着たくない」でした。
長男と二男の問題は違って見えますね。
でも、本質的には、同じでした。
「幼稚園の制服を着ない」というのは、二男の本当の問題ではなかったからです。
私は、ただ「幼稚園の制服がきらいなの?」とか「着替えるのに時間がかかるの?」とか、嫌がる二男をなだめようと、ず〜〜っと、そんな対応ばかりしていたのですね。
なので、全く解決しないまま、無理難題、わがまま放題を言っている二男を相手にすることに、心底つかれ果てていましたよ。
子どもの訴え、問題行動に、親として「何とかしてあげなければならない!」と思ってオロオロしていましたが、実は「みせかけの問題」であることが多いことを、全く知らなかった私。。。
ホントに疲れ果てました・・・
今の私なら、こどもの心に耳を澄ませる事や、問題の本質を見極める事を、もうちょっと考えてられるなあと思いますし、効果的な声掛けをする自信があります!!
この時、なぜ子どものぐずりが無くならなかったのか、理由もわかります。
あ~あ、
子どもが自分で解決できるように
親業を学んでラクになったのは、子ども自身が、辛い時にも自分で折り合いをつけられるようになる「子どものメンタルを鍛える方法」だったので、それが日常で実践できるようになったからです。
「私が子どもの不安を取り除く」のではなく「子どもが自分の不安を乗り越えられるように」かかわり方のポイントがわかったので、園長先生がいなくてもそんな子育てができるようになりました。
子育てを俯瞰してみる力と長年の経験が必要なのかもしれませんね。
でも、かかわり方を見極める「指南書」があると、私の子育ても劇変しました!
今回の「幼稚園に行きたくない問題」も、結局は子ども自身が折り合いをつけながら考えて解決すべき問題でした。なので、親が解決しなくても、全然OKの問題でした!
でも、わたしたち母親って、ほとんど母親の初心者ですよね。
で、いきなり子育てという、この世で一番ムツカシイ仕事をして、本当につらかったよ~
子どもの成長をただ促したかっただけなのに、
怒っていいのか?
褒めるべきか?
待つところか?
突き放してもいいのか?
突き放した方がいいのか?
・・・・
どんな信念をもって子育てをするべきか、迷ってばかりで、
母親の不安が子どもを不安にさせてしまうことがある???
おやつを買ってあげても買ってあげなくても 生まれる「葛藤」
結論から言うと、この場合、おやつを買っても買わなくても、どちらも子どもにとっての悪影響がある可能性があります。
では、どんな悪影響があるのか考えてみます。
買わなかった時
「以前はおやつを買ってあげたのに、今回は買わないと、それじゃ、親が「一貫性」を欠くことになってしまうんじゃないの?買ったり買わなかったりして、それって、子どもにとって、どうなん?子どもに何と言って説明しらたいいの?」
こんな時、親は「買わない新しい理由」を考えようと、あれこれ考えようとするかもしれません。
そして、子どもは買ってもらえない理由が理解できなかった場合は、なぜ、そうなったのか?納得ができないでしょう。
なので、そのうちに「なんでわからないの?」「もう〜」っと、親がイライラしてしまって、最後には高圧的になるかもしれません。子どもにやり込められた感が残ると、子どもは不満に思うかもしれません。
買った時
「一度、子どもの欲求に従って買ってあげると、これから、ずっと買わなくちゃいけなくなるかもしれない・・ 前回は、確かに買ってあげたけど、ずっとそれをされるのもイヤだし、とても困る。。。 ああ、どうしよう????」
今度は、安易におやつを買ったことでの将来の不安が生れてきます。
子どもは、自分の欲求が通ったので、満足していますが、「また、欲しい時にはいつでもおねだりしよう」と思うかもしれません。
そして、いつも自分の欲求どおりに買ってもらえると、ガマンすることを覚えません。
ここで、一番気になる事は、親が何となく不満気でイライラしていることです。こういう親の態度を子どもは決して見逃しません。
自分の要求が通って、おやつを買ってもらってご機嫌なはずなのに、何となく、面白くありません。なぜって、お母さんがどこか不機嫌だからです。
親がプンプンしていると、子どもは面白くなくなります。そして、親の本心がわからない時、子どもはどうしていいのかわからずに、親の愛をわざと試す行動をしたり、身動きが取れずにビクビクしたりする場合があります。
子育ての正解は、その都度かわる
おやつを買う、買わないで生じる悪影響とは、実はそれぞれに親の「罪悪感」や「うしろめたさ」あるいは「負けた感じ」で、不満や葛藤が起こることの悪影響です。
ここで「じゃあどうすればいいの?」と子育ての「正解」を教えて~と思うかもしれませんね。
でも、その方は、子育てを「正しい」「間違ってる」の二極で考える傾向がないか?考えてみて下さい。
例えば、夫と育児についての意見が食い違っている時など、
私の方が正しいか?
夫の方が正しいか?
と、こんな風に考えてしまっていませんか?
これは、どっちが正しくてどっちが間違っている、〇か✖か、というように、「勝ち負けの関係」になっていると言えると思います。
そして、この「白黒」「勝ち負け思考」では、人間関係の問題を解決するためには限界があります。なぜなら、負けた人は不満が残るからです。
まあ、相手が不満に思っている事がわかっていても、だからといって引き下がると今度はこちらが負けてイヤな想いをすることになりますから、それはできない。
世の中は勝つか負けるか。結局はそんなもんだと思うかもしれませんね。
だけど、この考え方はやっぱり古い(笑)
そして、それこそが人間関係が崩れる元凶となるものです。
勝ち負けで考えない方法で、子育てがシンプルになる
どちらが正しい、どちらが正しくない、という方法では、後味の悪さが残ります。
そして、ここで提案したいのは、あきらめないで、もっと違う方向を目指していこうってことです。子どもの年齢を問わず考える力を見くびらずに、しっかりと対等な存在として扱ってあげる方法です。そうすると子育てはもっとシンプルにできます。
それは、親子が困っている時には、お互いに協力しながら一緒に考えていく方法です。
親子の関係性を盤石なものにして、その上で、お互いの成長を支え合っていくのです。「関係性」がしっかりできていれば、子どもの心は健全に育ちます。
この場合も、単に「買ってあげる」 とか「買ってあげない」 でなくて、「その時にあわせた子どもとの関わり方」 で考えることをおすすめします。
「親がどんな風に自分と関わってくれたか?」という経験から、子どもは「他人との心の通わせ方」を、覚えるんですよね。
で、ここで大切にしたいのは、親としてホンモノの人である、という事です。
例えば、おやつを買ってあげたいなあ、と思うなら、買ってあげたらいいですし、今日はイヤだと思うのなら、「イヤ」と言えばいいです。それでも子どもがおやつを要求してきたら、一緒に話し合います。
「今日はお金がないから」など、気になる事があるなら、それを正直に伝えます。そして、親子で今をどうするかを一緒に考えるんです。
本音で話すことで、子どもが考えますし、「じゃあ、明日まで待つ」「半分だけ」など、どちらも納得のいくいいアイデアが生まることもあるんです。
なので、本当の問題は、子どもとの話しの流れ、展開の方法、もっていきかた、即ち、子どもとの対話をどのようにするか?ということですね。
子育ては、親が子どものことをどんな風に思っているか、子どもの事をどう扱っているかがとても顕著に現れます。
子どもが小さいから、親がいい方法を示してあげなくちゃいけないって思っている方がおられますが、私にしてみると、子どもの力をあなどっているのは、大人の方だと思うのです。
子どもを尊重しようとして甘やかしになっていませんか?
最近、子どもの言いなりになる、子どもを「尊重」しているといいながら、「甘やかし子育て」が多いような気がします。
子どもの欲求を全て叶えてあげるのは、子どもに「自分の欲求をかなえるために、他の人の欲求には配慮しなくてもいい」と、子どもに教えていることになります。
これでは、こどもは親や大人にやってもらって当たり前、他人に純粋な思いやりを持つ人には育たないのではないでしょうか????
「子どもを尊重する」を、はき違えていませんか?
私は、「自分が真っ先に優先されるのが、当たり前」と考える子どもを育てたくはありませんでした。
他人へ配慮できて、他人の喜ぶ顔を見るのが幸せで、でも決して自己犠牲ではなく全ての人を対等に感じることができて、そんな自分を自分で誇れる、本当に自立した、強くて優しい大人に育ってほしかったのです。