私たちの思考は、
「あれか?これか?」
「言うか?言わないか?」
「結局、どちらが正しいのか?」の二択になりがちです。
しつけを「した方が良いのか?」「しなくても良いのか?」
学校に「行かせた方がいいか?」「行かせなくてもいいか?」などなど。
すべて、あれかこれかの二択思考です。明確な「答え」が欲しくなります。だって、「答え」が出るとなんかスッキリしますもんね(笑)
でも、人間関係の中では、この二択思考のままでは、一時的にはスッキリしても、その後はずっとモヤモヤしませんか?
「正しい選択」をしているはずなのに、「生きにくさ」を感じるのだとしたら、それは、二択思考ではなく「自分にとって」という目線になっていないから。
「自分にとって」という視点をとりもどさない限り、私たちは本当に満足することはできないのだと思います。
今の時代の方が子どもがしんどいのだとしたら、それはなぜ?
私は昭和生まれです。
昭和世代には、社会や学校に、「いい学校を出て、いい会社に就職することを目指す」みたいな、多くの人に共通した価値観がありました。
この価値感におおすじでは従いながら、あるいは抵抗や反発を繰り返しながら、それぞれが自分の人生を歩んできたのだと思います。
今は価値観も多様になりました。「こうせねばならない」という「縛り」がなくなったはず。先生だって、昔はウンと怖かったけど、今はとても優しくなりました。なので、あれほど嫌だった、抵抗や反発をする対象がなくなったわけです。
な、の、に、
思ったほどラクに自由になっていない、感じられないのだとしたら、
なんでだろう?????
ここにはいろんな意見があると思います。
でも、多様な価値観が認められているはずなのに、「目に見えない水面下での圧力」や「古い価値観での縛り」や、
あるいは、かえって「二択思考」が強化されていると感じているのなら、
それは、自分で生き方を決めなくちゃいけない「自立」の訓練ができていないからだと、私は思うようになりました。
権力主義が崩壊した時、その権力主義に阿って生きていた人達が、真に自立的に生きる事ができていなければ、新たな「依存先」を求めるだけになっていくのかもしれません。
昭和の子どもは、頑固な親から押し付けられた「価値観」がイヤで、これに反発することで、自分の「価値観」を確立していくこともできました。
「反抗期」は、大人になるまでの必要な期間。
親や社会への反抗・反発が、自立への「原動力」になっていたという側面があります。
今は、親からは強く押し付けられませんから、自分の価値観は(反発の力を借りずに)自分で確立し、自立していかなければなりません。
そう考えると、子どもの頃から、自分の頭で考えて、行動に責任を負うという「自立の訓練」を助けるのは、本当に大切な事だと思うのです。
自立の訓練は、自分の人生を自分で考えて、
自分と仲良くして、
自分が満足した人生を送れるように、生きていく訓練のこと。
それらは、
白か黒か、どちらが正しいか?の二択で教えるのではなく、
自分は何を求めているのか?
どう生きたいのか?
自分の行動によって、迷惑になる人はいないか?
どうしていくとどちらも満足できるのか?
という思考になること。
二択思考で終わらずに、自分にとってもっと他の方法はないかと自分の頭で考えて、知恵を出し合いながら、助け合っていこうという姿勢が必要です。
そんな姿勢が持ててくると、
白黒ハッキリつける必要はなくて、
曖昧なグレーの味わいや、人間の葛藤もまるっと持ちこたえられて、
周りの人と喜びを分かち合えるような、
そんな「力」がついてくる気がします。
おかん塾ではこんな「子どもの自立」と「人間力の育成」をめざして、
まずは、私たち親から「自立」し、コミュニケーションの修行を続けていきたいです。
人とのぶつかる事は超苦手な私たちには、
とにかく、数稽古が足りていません。
それはつまり、子どもと真剣にぶつかる(対話の)「経験値」のことです。
練習すると、誰でも上達することを、
私自身、証明したいなあとこの記事を書きながら、感じました。
がんばろ~(笑)