子どもが自分で考えて動く「イライラしない親子関係」のつくり方
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癇癪を起す我が子に自分が辛くなる時「子どもの本質」でない別の角度から語ってみた

癇癪を起す我が子に自分が辛くなる時「子どもの本質」でない別の角度から語ってみた

癇癪を起す、ワガママ、ひねくれる、ぐずる、騒ぐ、わめくなど、親なら我が子の態度に悩む経験があるかもしれません。  

  • 子どもはもしかしたら「発達障害」じゃないかしら?
  •  ADHDまたはアスペルガー?
  •  フツーの子どもとはちょっと違う・・
  •  診断されていないけれど、きっとグレーゾーン?
  •  自己診断は当てはまる事ばかり?

親の言う事を聞かない子どもに、どうしたらいいか途方に暮れるとき、「うちの子はへん?」「うちの子は変わってる?」と考えてしまいませんか?


もちろん、早くから診断を受けて、適切に関わってあげることで、子どもに必要な支援が得られるということはあるでしょう。

ですが、診断を受けるのが「親の安心のため」になっていないか、考えたいところです。なぜなら、「障害児」と言うレッテルを貼ってしまう事で、「できない」ことを諦めてしまったり、かえって色眼鏡で見て子どもの可能性を制限するケースも多くあるからです。


私は男の子を3人授かりました。それまでどちらかと言うと子どもは苦手。

そんな私に、子ども達は容赦がありませんでした(-_-;)。デパートやスーパーでの癇癪を起すという洗礼をもれなく浴びせてくれましたよ(-_-;)(-_-;)

ま、これも通過儀礼のようなものだったのかなと、今では思えるんですけどね(当時はもちろん必死でした)

きっと、これこそが正常な子どもの姿だと思うのです(-_-;) ←だって、幼い子どもは本来は自然体の野生児なのだから(-_-;)

ところで、私たちは 「我が子は発達障害?」と考えてしまう時、なぜ、そう思ってしまうのでしょう。


・・・

 

それは、もしかしたら「フツーの子」ができるはずだと思う事ができていない、 つまり  

  • 子どもならできるはずだよね
  • 「フツー」と違うじゃん
  •  理解しててあたりまえでしょ
  •  これくらいできないの?
  • 私ならラクラクやってた

 という、「~すべき~できるはず、と思う枠組みからはずれている」というだけではないでしょうか?

 

 「フツーの子ども」がしてることをなぜできないの?

子どもの癇癪の強さが気になってしまう時に、なぜそれほど気になるのでしょうか。

 

私は「三人の息子たち」に親としてのメンタルを鍛えられる中で、自分の中のモヤモヤや違和感を分析してきました。


で、結論から言うと、それは、他の子どもとの「違い」からだと思い至ったのです。

 

今、大切なコトがあるのに、

今、すべきなコトがあるのに、

  

他の子はしてるのに、 「フツーの子」はそれが理解できるはずなのに、 なんでそれがわからないの(泣)?????

 

うちの子は変?


コトバが通じない腹立たしさと、虚しさが交錯する日々。

  

そんな時、親は、

 

何度も何度も繰り返して責め続けてしまう罪悪感、

最愛の我が子を傷つけてしまっている自己嫌悪感、

個性的な我が子を人並みに育て上げることの責任のあまりの重さ、

 

などに、押しつぶされそうで、不安で、逃げ出したくなる衝動を感じているのかもしれません。

 

発達や特性が気に場合ほど大切になる家庭環境づくり

実は、私的には、発達障がいやグレーゾーンであるかないかは、それほど大事でないと思っています。


どんな子どもでも「発達障がい??」なんてことはたくさんあって、あればキリがないからです。

 

そして、子どもなのだから、未熟なところや劣るところがあったり、他人よりも自分を優先してしまうのも「当たり前」ですよね。


大切なのは、診断することでないはずです。

 

それよりも大切なのは、「未熟さ」をどうカバーするか?

 

つまり、子どもの成長と発達をうながす環境づくりです。


癇癪やこだわりについて、今までとは違う角度から見たり考えたり、他人への思いやりの思考が本人の中から発達するように、「どうやって子どもに接するか」のほうが、100倍大事だと思います。


子どもは「自分が悪い」と親から責められていると自尊心が傷つき「防衛的」「反抗的」になりますが、責められたり非難されずにレッテルを貼られずに思慮深く接せられると、安心して考えることが出来ます。

思いやりを示されて、他人を思いやる事を覚えます。

 

そのために、親がするべきコトは「お互いが理解しあえるコミュニケーション技能の訓練」です

 

「コミュニケーション技能」というのは、物事を子ども自身が理解納得できるように、親の想いが「伝わる技能」のことです。

 

親のイライラは伝わらない「もどかしさ」と将来への「不安」?

実は、親が抱えるイライラは、 子どもに「伝わらないもどかしさ」なのかもしれません。

  

伝わらない

わかってもらえない

フツーに他の子ができる事ができない!

理解できないところで、やたらとこだわる

価値観がまるで違う

住んでいる世代も違う

異星人と話しているような感覚

 

←こんな風に思うことはないですか???

 

そして、感じ方や反応が、他の子とはなんか違うなと思うとき

 

→この子はちょっと違うの???

→発達障がい???

 

・・・というように考えてしまうのだと思うのです。。。

 

つまりすべては「伝わらないこと」から始まるのではないかと思うのです。

 

確かに、発達障がいは早期の発見で適切なサポートが受けられることは確かです。だけど、実際にはグレーゾーンの範疇という事も多いのです。

 

そして、発達障がいと診断が出ても出なくても、グレーゾーンの範疇と言われても、専門家の手厚いサポートが受けれても受けられなくても、家庭での親の関わりが子どもの発達に大きな影響を与えますよね。

 

個性が強い子どもの個性を潰さないように必要な社会性を教えるためにも、すべては「相互理解のためのコミュニケーション技能」から始まるのです。

 

 すべての人が未完全であり個性があるのだから

 私は、子どもはすべて「発達障がい」であり、そして私自身も、ときどきイライラしたりする「発達中」だと思っています。

  

完全な人間などいないからです。なので、そういう意味で全ての人が「発達の過程にいる」と思うのです。

  

親は神さまではありません。


イライラするし、大声だって出すときもある。それは、好きでやっているというより、そうせざるを得ない状況に置かれると誰にでも起きる反応であることも多いものです。

そんな「自分の感情」を受け入れ、付き合いながら、それぞれがより良くなっていこうと成長を続けるものだと思います。

  

と同時に、誰もが、どこか「個性的」な存在です。

 

そもそも、個性が強いとか薄いとがか言うのは、すべてその人の感じ方や周りの環境、比較による問題だと思うのです。

 

マジョリティも、マイノリティも、属している集団によって変わるもの。


つまり、その人の周りにいる人がどんな特性をもっているか?に左右されているだけ、という事です。

  

 子育てのめざす方向が完璧や理想になると、子育ては苦しくなる

親は子どもに「完璧」を求めがちです。以前の私も、つい、自分にも子どもにも完璧を求める傾向がありました。

  

何でもこなせる、スーパー人間に育てる事が、子育ての目的と思っていました。

  

そうすると、子育ての目的はいつまでも、達成しません。子どもは親の思うようになど、育たないからです。

 

どんなに頑張ってもなぜか苦しかったのは、「親の理想像」を子どもにも自分にも当てはめていたからでした。

  

完璧な人なんていないのだから、個性を活かし、周りの人に助けてもらえるような人間関係に強い体質づくりを強化しよう!

 

親業を学ぶうちに、ここが腑に落ちてきた時に、子育てが変わりました。

 

正確に、過不足なく想いを伝える

自分の想いを伝えることができる子を育てる

 

同じ欠点のある対等な人間として「困っている時に助け合える関係づくり」がストンと腑に落ちて、実践できた時、すごく嬉しかったことを覚えています。


幸せだなあと思ったのですよん

 

その後、私は、自分の3人の息子の子育ての経験からも、発達の特性・個性・バラツキは、日々の経験の深さで十分に補うことができると考えるようになりました。

 

自分とは違う人がいて、自分とは違う感じ方をしている人がいる事を、毎日のやりとりの中で知ることになります。

 

子どもは自分とは違う感じ方をする人がいる事を自然に理解します。それは、他者を理解するためにもとても大切な要素となります。

  

本当に人の成長は長い目でみることが大事だなあと思うのです。

 

 

 発達が気になるからこそコミュニケーションの訓練を! 

癇癪を起している子は、自分の気持ちをわかってくれないという思いが強く、また、自分を伝えるコミュニケーションが苦手な子が多いと言われています。

 

決して思いやりがないとか、人と交わることが嫌い、というのではないと思います。


ただ、人と交わる事で傷ついた思い出があるだけ。

 

訓練では、母親が、子どもの「想い」を正確に丁寧に理解してあげる「能動的な聞き方」を学びますが、これができると、子どもはだんだんと落ち着いてきますよ。

 

個性やこだわりが強いからこそ、相手に自分を理解してもらう努力は欠かせないと思います。

 

発達の特性を、認め合い、素晴らしい個性として活かしあうことができると、特性はすばらしい武器になります。

 

逆に、すぐに結果を求めてしまったり、目の前にある「評価」が気になったり、気にすることを強いられるような風潮に、こころがざわつく、、この今の時代の風潮に染まっている場合は、試練となるかもしれません。


私自身も、「評価的視点」にがんじがらめになっていて、苦しかった過去があります。

 

ちょっとした考え方のコツと、具体的なコミュニケーション技法が、それぞれの特性を個性に昇華してくれる、そんな家庭を作っていきたいのです。 

 

 

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