自立・自己規律心を育てるコミュニケーション実践塾
【営業時間】平日・土曜 9:30〜16:30
お問い合わせ
  1. 今日のおかん塾
  2. 夏休みの宿題が終わらずにイラつく子どもへ巻き込まれそうになった事件
 

夏休みの宿題が終わらずにイラつく子どもへ巻き込まれそうになった事件

夏休みの宿題が終わらずにイラつく子どもへ巻き込まれそうになった事件

子どもをありのまま受容するのがいいとわかっていても、子どもが明らかに不機嫌でイラついている時ってありますよね。


こういう時って、親もイライラが伝播しますから、一緒にイライラの洪水に溺れる可能性大なんです。

もちろん、これは私も経験済み(笑)

夏休みの中盤過ぎのお盆明け、塾の宿題が終わらずに、かわいそう(?)な次男(当時中3)が、塾の宿題に追われていた時の事です。

イラつく子どもへどう付き合っていくか

彼は集中している時はいいのですが、時々、プッスン・プッスン・と「エンジン」がかからない様子が見えました。

その時も、夏休みに出された宿題の莫大な量に、作業の量がおいつかず、明らかに焦っていました。(←というか、勉強不足)


だんだん現実が見えてきて、「もう時間が間に合わない〜」と、どんどんイライラしてきた様子でした。

「あ〜あ、こんなことなら、もっと休みを満喫しておけばよかった〜 一番損なことをした」

は???

どゆこと?

 

お盆休み、その宿題の多さに、二男は遊びの予定を入れていませんでした。

でも、遊びの予定を入れなかったのだけれど、結局、宿題もまだ仕上がっていないという、

遊んでもいない
勉強もしていない

どちらも手にしていない、彼にとって「最悪な結果」になっていたんですよね。


そして、焦る気持ちだけはずーっと持っているという、中途半端なお盆休みを過ごしていたのです。そして、そのことをとっても後悔しているらしいのです。

(勉強すればよかった・・ではなく、遊べばよかった・・なのが二男流)

フッ アホめ
今頃気づいたか・・・・
まあ、気づいたらよろしい
(←私の心の声。。。もちろん言わない)

私は、彼の様子を見守っていました。

時間の経過と共に、どんどん、焦りだした彼は、かなりプレッシャーがかかってきたようです。

「しんどい〜」
「寝たい〜」
と、ほざいておりました。

う〜ん
うるさいなあ〜
でも無視!(いや、沈黙と言っておこう・・・)

そして、そのうち、
「ウワー」とか
「グーウウウウウウ・・・・ウウ・・」とか、気持ちの消化ができないのか、ちょっと危ない声になってきました。

ホンマに、男子って、いちいち「体験」しなければ、「学習」しないものですね。

二男は意外と真面目です。三人の息子の中で実は一番「純粋」かもしれません。

彼が「ワーっ」となっている様子から、かなり、追い詰められているのがわかりました。

 

私は冷静さを保ちつつも、
「気分悪い」って言ってるけど、どうなん?
気持ちの問題?
甘えてる???
自業自得

と思いました。


というか、周りに悪態を放ちまくって、

うるさ過ぎる!

ブチッ

(←あ〜切れてしも〜た、わたし) 

 

「もう!うるさい!うっとおしい!ここでワーワー言われると、お母さんに言われてるみたいで、迷惑!」

 

私のコトバを聞いて、二男は一言「そうや〜」と言い、それから静かになりました。 

 

わたしに一喝されてその後おとなしくなった彼は、その後、早めに塾に出かけて行きました。 

 

子どもの不機嫌さに親も悶々と引っ張られてしまうから

当時の私にとっては、受験生の彼が、夏休みの期間に散々遊んできたことを受験生として少しは後悔しながらも、そのツラさを私に訴えて甘えてきてるのかな?と思いました。

 

まるで私の反応を確かめながら、ワーワー言っているようにも見える。。。。。

 

わたしも、悶々としてきました。

 

甘い顔ばかりしているわけにはいかないわ!

私はあなたのゴミ箱ではないのよ〜(心の声です)

まあ、今だったら完全に「スルー」してるところですが、当時の私は彼の仕草に完全に巻き込まれていました。

 

こんな時は、即「親業」の方法で考えられたのがとても便利!でした

 

親は、
①子どもの問題だから、子どもを助けて見守ってあげる
②親だって、たまらんから、自分の問題として向き合う

2つの方法があると考えて、どっちを選ぶかは、私の選択!

その時の自分に正直に、”こころの声”を聞きながら対応を変えていいんです。

へっ?変えていいの?

親として、見守るべきじゃないの?

イヤイヤ、それじゃあ、甘やかしじゃない?

初めから、もっとピシピシするべきじゃない?


、、、なんて声が聞こえてくるようですが、でも、親だって人間!


そして、ホンモノの人として時にはガツンと向き合っていきます。 


人間臭く・・・が救われました(笑)

自分の本当のところを出して、本音で向き合うほうが、子どもは親のコトを、”ウソがない”って疑わずに済みますし、これが大事。人として信頼できるのですね。

 

で、結果的に彼はその後、だんだん落ち着いていました。


私もこの方法でずッと接してきましたが、不思議といい関係でいられます(←子どもが私を受け容れてくれる(笑))

自分の心に正直にすればいい!という子育ての「軸」は、慣れるのに時間はかかりましたが、それだけ「支え」が必要でした。


この時も、
「宿題やってないからあなたが悪いんじゃない?」
「もっと早くやらないからでしょ。。」
「自分で選んだ塾の宿題なんだから、不満垂れるのっておかしいでしょ?」

などと、親が言いがちな「要らんこと」を言わずに、一言ガツンだけで済ませられました。


でも、実際には「感情的に怒ってる自分」を受け入れることって、これが意外とムツカシイことだったんですよね。ま、それも過去の話し(笑)。これもトレーニングなのかな。

 

今では、わたしは自分の感情にいつでもOKを出すことが自然にできるようになったのでラクになりました。


すると、不思議なもので、感情の表現が上手くできるようになったのと比例して、子どものことを信頼して、見守ることも上手にできるようになりました。

こんな風に、私はかなり好きなコト言いながら、子どもはのびのびと育ってきました(笑)


もちろん、もし彼がもっと辛そうだったら、私も対応が変わってきたかもしれませんけどね。

その時々で、言語・非言語のコミュニケーションを「五感」で感じながら接するのが、親の関わり方の極意と知っていたので、ブレや焦りはなかったです。

親業を学んだことで、シンプルに、原点に戻る感覚をいつも大切に持てたのが、よかったのかもしれません。