「子供に申し訳ない」「こんな母親でごめんね」と感じているあなたへ

「子供に申し訳ない」「こんな母親でごめんね」と感じているあなたへ
「子供に申し訳ない」
「こんな母親でごめんね」
「私ってダメな母親だな」

と、自己嫌悪に陥る事はありませんか?

私がこの親業訓練と言う子育ての方法論を、一人でも多くのお母さんに学んで実践して欲しいと思う理由の一つは、母親が「こどもと対等な存在」であることの大切さを知ってほしいと思うからです。


母親の中には、自分の生まれ育った境遇などから、自分に自信がなくて、

  • 生きるのがつらい、
  • 自分がなぜ生きているのかわからない、
  • 自分なんて母親の資格がない、
  • 子どもに申し訳ない

と、何となくずっと感じている方がいるかと思います。


実は私も、そう感じていた一人でした。


いつも自分自身に自信がなくて、その自信のなさを払しょくするかのように、子育てに燃えていました。「自分みたいな子どもに育てたくない」と強く思っていました。その一心で、子どもの為に何とか「いい母親」になりたいと、私にできる事はすべてやってあげたいと思っていました。

 

それって、子どもの為でなくて自分の為やん~

 

っていう人がいるかもしれないけれど、そうじゃないと思います。それもは、紛れもなく「子どもへの想い」だと思います。そして、その気持ちがもし問題があるとすると、それは、 子どもと自分の境界線が曖昧になっていたと言うことかもしれません。

 

子どもの為に「自分みたいな子ども」に育てたくないから、一生懸命に、ただ一生懸命に、良かれと思う事をただただ祈る思いで、母親として妥協せずにしたかった。


妥協してしまった自分を「ああ、こんな自分は子どもを傷つけてしまったのではないか?」「やっぱり、自分には母親の資格はないのではないか?」と思う。。

 

そのくり返しが起こってました。

  

で、今の私にはわかりますが、それは、子どもの力をみくびっていたんですよね。


もし、今のあなたが昔の私と同じ気持ちになっているのであれば、ちょっと考えてみて欲しいのです。

 

あなたの大切な人が、とても自分に自信が無くて、常に「懺悔の気持ち」みたいなものを持ちながら生きているとしたら、


「自分の望みを言うなんて、そんなワガママは言ってはいけない」

「自分は喜んではダメなんだ」

「幸せになってはダメなんだ」と、

「生産的なコトをしたらその代償としてちょっとの息抜きは許されるけれど、そうでなければ、自分には生きる価値が無い」


と信じているように、生きているのだとしたら、なんだかとても寂しい気持ちになりませんか?


あなたの「贈り物」を「自分には分不相応だ」と受け取ってもらえていない可能性があるのです。

 

大切な人に、卑下されるのは、とっても辛いことなんじゃないかと思うんです。


「上にも下にもしない人間関係」

自分を「下」にしてしまうと、子どもは「上」になります。

 

それは、真に対等な人間関係を体験するチャンスが減ることだと思うのです。

 

そして、人間関係には常に「上下」「力の差」「勝ち負け」があって当たり前だと、教えてしまうことになるでしょう。

 

じゃあ、対等な人間関係ってどんなものでしょうか?

 

対等な人間関係とは、実際に体験した経験がないと、その気持ち良さは味わえないかもしれません。

 

ただ、本当に対等な人間関係を築くためには、あなた自身が誰かの陰に隠れているわけにはいかなくなります。

 

あなた自身が「表に立つ」とこと。これは、自分自身がどんなことを考え何を感じているか?「一人の人として」という部分がとても大切になってきます。

 

自分がホンモノ

 

これができて、対等な人間関係が成立するのかなと思います。

 

そして、これが案外むつかしいのです。

 

自分が何を感じているか?何が好きで、何をしたいのか?

どんなものに価値を見出しているのか?

 

あなた自身の中から生まれるものを感じ、それを感じる一人の人として、自分を許しているか?

 

この問いかけを自分にした時に、全く答えられない自分がいました。

 

だけど、自分自身を一人の独立した人格のある人として、認めていない時、

 

子どもと1対1という「違う人格をもつ一人の人同士として対等な人間関係を築く」って、とても難しいと思うのです。

 

「わたしなんて、、、」母親の罪悪感が子どもを王様にしてしまう

そもそも、自分に対する自己評価が低い人は、自分のことを子どもより優先することにすごく罪悪感があります。

 

表だって何か言いたくない。

 

引っ込んでいるほうが楽なのです。

 

ただ、このやりかたでは、子どもはいつも優先され、庇護される存在となり、対等な人間関係を築く経験ができません。

 

子どもに、世の中の人は自分とは違う考えを持つ人がいることや、自分と違う人にも、人としての欲求を持っていることを教えなくてもいいのでしょうか。

 

ゴードン博士の言葉は胸に刺さりました。

 

お互いに別の欲求があるから、当然、衝突の場面がある

人間関係に対立があるのは当たり前

対立の解決法こそ、どの後の親子や人間関係を左右するもの

 

自分に自信のない人は、衝突や対立が超苦手ですよね。それは、過去に傷ついた経験があるからだと思います。

 

人間関係の衝突や対立は、できれば避けたいと、あらゆる策を講じて全力で阻止しようとしますが、

 

じつはこの時に、それを解決していく過程で子どもは、相手の立場が自分の立場と違うことを、初めて知るのだと思います。

 

「なぜ?対立が起こっているのか?」

「どうすれば解決できるのか?」

 

自分の立場が理解され、相手の立場を理解した時、見識や思考を深めることで、他者とどうやったら平和に生きていけるか?真剣に考え始めます。

 

他者と生きるための共生の知恵は、わざわざこのために教えなくても、対等な家族として暮らしていると、子どもの内面から自然に生まれます。

 

心の折り合いをつけながら、自分の心地よい生き方も考えるようになるのだと思うのです。

 

これは、健全な精神の成長です。

 

親業は、この世界平和に欠かせない「他者と生きる知恵」を自然に育まれさせるメソッドです。

 

そのためには、大前提にあるのは、お母さん自身が自分が大切にされるべき存在だと、思っているということ。それも結構大事なのです。


子どもに烈火のごとく愛されていると知っているか?

以前、カウンセリングを学んでいた時の教科書に、「母親は子どもから烈火のごとく愛されている」というフレーズがありました。

その時の私は、ものすごく深く胸につき刺さりました。「納得」と「違和感」と、どちらも感じたのかもしれません。

でも今は、世の中のお母さんは、自分が愛されているともっと自覚した方がいいと、私は言いたい!

 

「自分が愛されている」

 

ということはあまりわかりにくく、信じがたいことかもしれませんし、これこそが最も難しいことなのかもしれません。


でも、親業や自己実現を学び、実践するうちに、今まで他人から大切にされなかったのは、自分が自分を大切にしてなかったんだと、ウスウス気づいていくと思います。

 

じゃあ、自分を大切にするってどういうこと?
 

となると思うのですが、それは、「自分にウソをつくのをやめる」ということから始まるのかなって思います。

自分自身を説得して、

感情に蓋をして、

なかったことにして、

何も言わずに

あたかの理解しているいい人風を装い、

だましだまし生きている

 

これだと、いつか感情が爆発しますよね。
 

それは、相手にわかってほしいと思う怒りの感情であると同時に、あなた自身が自分を偽り大切にすることができていない苛立ちの感情だと思うのです。

 

エラそうに書いていますが、これ、本当に私がそうだったから。

 

ありのままの自分にOKを出すということ

 自分のどんな感情にもOKを出す。

これは、「自己受容」というコトバであらわされますが、親業訓練一般講座のテーマです。

 

そして、自分にウソはつかないで、率直に発言する具体的な方法は、「自己表現」がテーマの自己実現のための人間関係講座で学びます。

 

引っ込まない、攻撃しない、相手も自分も大切にしていることが伝わる言い方は、「言いにくい時」ほど味方になってくれます。

 

対等な人間関係を築くには、お母さん自身が自分に大切に向き合うこと、自分の発言に責任を持ったり、評価されることを期待しない心の体力をつけることを強いられます。

 

これは、まずは、子どものために学んでほしいのです。

 

子どもの為に。

 

自分の為は苦手でも、子どもの為にだったら、できるでしょ?(笑)

 

母と子が常に個別の人としていることは、本当に目指したい「新しい時代をいきる対等な人間関係」の基盤となると確信しています

 

自分の「人としての権利」を棄権しない事です(笑)

 

真に対等で尊重し合える人間関係は、暖かく思いやりに溢れています。

 

思いやりを溢れる子どもに育てるためには、思いやりを受け取れるお母さんであることが必須なのです。

 

お母さんだから、出来るはず。

 

私はそう思っています。