高校生の娘が深夜に帰ってこない!警察沙汰になり「怒りMAX」の時にどうする?

高校生の娘が深夜に帰ってこない!警察沙汰になり「怒りMAX」の時にどうする?

高校生の娘が「家出騒ぎ」を起こしたら、親としてはかなり焦りますね。


どうしたらいいか、慌てるし、逆上するし、焦るし、戸惑うし、情けないし。そして、それ以上に変な事件に巻き込まれてはいないかと気が気ではありません。


以前、受講生の方から「深夜に返ってこない高校生の娘さんを心配して、警察に連絡をした時の接し方」について相談されたことがありました。

この記事では、その方の事例を踏まえて、警察沙汰になるような究極のピンチの時こそ問われる「親としての接し方は何が正解?」について、考えたいと思います。

1、親には感情が抑えられない時がある

親も辛いから「悪者」を決めたくなる

まずは、頂いたメールから。

昨日、娘が夜中になっても帰って来ず、警察に相談する事態になりました。夜中の1時過ぎには自分で帰ってきたのですが、家を出る直前に日記を処分し、身分証明を全部置いて行きました。

 

日記は墨で汚れてよく見えませんが、毎日辛いと書いてありました。精神的な疾患を疑っているようです。

 

「帰りが遅くなったので心配」とは伝えました。しかし、命を盾にするような方法が受け入れられず、優しい言葉をかける気になれません。

 

本人も色々と悩んでいるとは思いますが、このような方法を取られると、関わる全ての人が踏み込んでいけません。
 

しかし、ここでこちらが折れるべきでしょうか?それは第2法(放任・甘やかし)になるのでしょうか?

 

私としては子供の問題と考え、こちらから働きかけしたくありませんが、病気の場合は別でしょうか?

どうしても話しをしたくないのです。色々と考えていますが、答えが出ません。 


この方は、深夜に返ってこない娘さんを心配して、警察に連絡をしました。


幸い、無事に帰ってこられたようですが、その事態を招いた娘さんへの怒りは爆発!親としての高ぶる感情が抑えきれず、どうすることもできない気持ちが綴られていました。


ここで、この方が本当につらくなるのは、自分も苦しいけれど、娘さんは娘さんで辛そうな様子なことです。


どうしたらいいのか、どう考えるといいのか、まったく出口が見えずに、グルグルとループに入り込んでしまって、混乱してしまってます。こういう時は、大抵、「悪者探し」の思考になりがちです。

  • 悪いのは娘なのか?
  • それとも親である私なのか?
  • それとも環境なのか?
  • それとも今の自分のやり方なのか?
人は、何か原因があるとわかり、自分は悪くないと思えることで、どこか安心します。本当に苦しい時は、誰かを悪くしなければ、救われない気持ちになる時があります。

親としての未熟さを感じている場合や、劣等感、罪悪感を感じていると尚更ですね。


こんな時は、とりあえず、少しだけでも落ち着いて話が出来るようになったら、気持ちを「吐き出す」ことが出来るといいなと思います。


自分の気持ちを全て「吐き出す」ことは、本当に安心できる人が相手でなければ、なかなかできることではありません。そして、「どんな自分も否定されない、安心して気持ちを吐き出せる人間関係」は、今、辛い人にとっては「命綱」のような存在になることがあります。

人は、誰か一人でも「この人にありのままの自分で受け入れられている」と思える人がいると、それだけでモヤモヤした気持ちがすこし落ち着いてくることもあるものです。

怒りの渦中にいるからこそ考え抜きたい、自分のどんな気持ちが溢れてくるのか?


さて、気持ちが落ち着いたら、「今後、どうやってかかわっていくといいのか?」あるいは「あの時どう言えばよかったのか?」を検証しておくことがおススメです。

娘さんが不安定な気持ちのままで、苦しい気持ちが「根本解決」していないと、また同じような事が起こる可能性があるからです。対処療法のようなやり方では、子どもの気持ちは収まっていませんし、親の不満も残ったままですから、当然、親の機嫌も悪いままですよね。

向き合っていく事は勇気がいりますし、子どもの心理状況によってはタイミングも見極める必要があるかもしれません。ですが、そのままにしていても、一向に「よくなるイメージ」が持てないのなら、勇気を持ってぶつかってみることも考えてみて欲しいです。

もちろん、コミュニケーション技能は必須です。思春期の敏感で荒れる心にとって、親のコトバは「救い」にもなれば、「刃」にもなりうるからです。

ここは、「親業」の出番です。

実際にどのように関わっていくかはひとそれぞれ。親としての自分の状況を見つめて、気持ちを整理し、言いたいことを伝えていく「ホンネのかかわり」ができるのが「伝え方のスキル」です。

これね、簡単そうに見えますが、実際には、かなりハードです。自分の伝えたいことは何か?言語化できるように、自分に向き合い、考えていかなければなりません。親が自分の気持ちを向き合いながら、自分と繋がった言葉でないと、子どもの心には届かないのです。

伝わるコトバとは、その人の深いところにつながった純度の高いホンモノの感情のコトバです。


怒りの中に埋もれている、自分の本当の気持ちは何か?

この方は、本当に怒っていました。

警察沙汰になり、心配しない親はいません。そして、死をほのめかすような「手法」にも、腹が立っていたんだと思います。

ですが、それをそのまま「ぶちまける」と、娘さんに誤解されてしまい、こじれてとんでもない事態になりかねませんよね(-_-;)

こんな時こそ「親業」の出番です。

まずは、この状況を整理するために今、目の前で何が起こっているかを見極めて「行動・事実」に焦点を当てることからやっていきましょう。頭の中にある、先入観や思い込み、レッテル張り、妄想、憶測など、それらを排除して、今、何が起こっているかを見極めます。


具体的には、娘さんの「命を盾に取るような方法」とありましたが、これはこの方の「先入観が入った」捉え方ですね。これでは相手には責められているようにしか思えません。「具体的にはどんな行動ですか?」とお伝えしたら、次のように返ってきました。  

色々な事を書き出して考えてみました。

何を感じているか、

どんな事をしてあげたほうがいいと思ってるか、でもできない気持ちとか。


具体的には?との問いに、

客観的事実は遅く帰ってきたというだけだった!と気づきました。

 

今までの行動から、私が勝手に「命を盾にしてる」と思い込んでいたかもしれません。

でもそこが1番心配してる所なので、それが保証されれば、子供の問題として、見守れると思いました。
ちょっと整理されました。ありがとうございました。

  

今、ココでの事実を客観的に見れたことで、状況を整理できて、少し落ち着いてきたようですね。

 

「命を盾に取るような方法」に見えた娘さんの態度でしたが、それは具体的にはどんな行動かと考えた時に「遅く帰ってきた」という「だけ」だったという事実が浮かび上がってきました。


でも、ここは「親が早合点した」と「ダメ出し」するのではありません。子どもの行動がこの方にとっては、「命をタテに取るような方法に思えた」というのが、この時にこの方の内部で起こった事実なのです。


これは、本当に心配しているからこそ、そう思えてしまうのだと思います。


これこそ、愛するがゆえの反応! だから「ダメ出し」するのではなく、そこを「分けて」考える事がとても大切です。「事実」と「解釈」を分けるという事です。


親は、子どもの行動を見て、常に自分なりの解釈をしています。

コミュニケーション技能がないと、子どもの様子を見て、そこに、性格や気質で判断して「〇〇に違いない」「きっと△△だからこんなことをするんだろう」と、妄想を膨らませてしまう事があります。

これは、訂正されない限り、どんどん飛躍してしまいます。

つまり、「確認」の作業が入らないと、「思い込み」がますます強くなり、さらには「レッテル張り」が始まるので、どんどん「強化」されてしまう。

これこそ、コミュニケーションの齟齬、エラーが起こる「元凶」でもあるんですよね。。

妄想が膨らむと、どんどん論点が逸れていき、「悪口大会」みたいな、感情論の応酬になりますから、、それは避けたいでしょ?

「行動・事実だけ観る」というのは、実は意外と難しいですが、「講座」でトレーニングしていましたから、すんなりと出来たようでした。

 

何より、無事でよかったですね。ホッ


親としての気持ちが整理されたことで、気持ちの準備もできますから、親子の不用意な争いを避けることが出来たようでした。

おつかれさまでした。

2、親としてどうしたらいいか?わからずに悩む時

あれで良かったのか?次回につながる検証のススメ

さて、冷静になった時、私たちはどのように対応すればよかったのかと、振り返ることができます。


自分の気持ちを整理しておくと、次回に、同じような展開になった時に慌てずに済みます。なので私は、冷静な時に「自分の気持ち」や「関わり方の検証」をじっくり考えることを受講生さんにもおすすめしています。

  • その時、私は子どもに何を伝えたかったのか?
  • 何がそんなに怖かったのか?
自分自身の本心がわかっていないと、子どもに届くよう伝えることができません。

例えばこの方の場合では、彼女は娘に何を伝えたかったのでしょうか。

娘さんの「命」がなにより心配なのであれば、その心配している気持ちを伝えたいのかもしれませんね。

そうであれば、
「なにしてたの?」
「こんなに心配をかけて!」

と言うよりも、
無事な顔を見た時に、

「ああ、かえって来た〜〜〜」

と、ホッと安心して胸をなでおろしながら話す方が、子どもには届くかもしれませんね。

「怒り」の感情が沸き上がるのは、愛があるから。ならば、その気持ちを率直にストレートに伝えた方が、いいかもしれません。そして、そっちの方が、断然伝わります!

 

あなたにとっては、命を楯にしているように感じることが、一番堪えることであるし辛いことだったのかもしれませんが、もしそうなら、それも率直に言ってみてはいかがでしょう。


伝える言葉は、もちろん、親業の「わたしメッセージ」が鉄則ですよ。

 

ホンモノの血の通ったコトバだけが子どもの胸に届きます。こういう時に「あなたメッセージ」はありえませんので注意してください。

 

親の在り方を子どもに問われる時

子育てにはこういう「修羅場」みたいなときが、時々あるようです。

 

親としての覚悟とかあり方を問われる時ですね。

 

この時こそ、河合隼雄先生のコトバを借りると、100点をめざしたい時なのかな、って思います。

 

「100点以外はダメなときがある」

 

模範解答はない。自分の持っているだけのものを、全力をあげてぶっつけてみるのだ。

そこにはじめて本当の対話が生まれる。

(中略)

人生にもここぞというときがある。

それはそれほど回数の多いものではない。

ともすると、そのときに準備も十分にせず、覚悟もきめずに臨むのは、まったく馬鹿げている。(こころの処方箋 12 より)

 

人生には、80点ではダメで、98点でもダメで、100点でなければ、ダメなときがある、というのです。

 

ひょえ〜厳しいですね

だけど、ま、そんなもんかもしれません。
 

そして、ここでの100点とは「満点」を狙う!みたいな、「いい点」「いい評価」を取りたいというものではなく、自分の持っているだけのものを、全力をあげてぶつかり本当の対話をすること

 

本文はもっとわかりやすく書かれていますが、準備できるものは十分に準備して、自分の持てる力を発揮できるように、覚悟を決めて、対話に臨むことだと思います。

 

「これしかない」と自覚があるかないかで、結果は大いに違ってくるそうです。

 

まさに、人間関係の真実の瞬間ですね!


私のコトバで言うと、「もう、どーにでもなれ〜」っていうくらい肚をくくって、

「もう、わたしゃ、わたしです。これ以上でもこれ以下でもありません。あなたを死ぬほど愛してますし、心配してます。なにか??」

って言いきれるくらい!の迫力をもって挑む、みたいな感じかな(笑)

この時には、ホンモノの、真実のコトバだけが届くのでしょうね。

 

あなたが本当に感じていることを、覚悟をもって率直に表現できるのか?考えてみてください。


ちなみに、河合先生の言葉を借りると、100点はいつも取り続けるものでもないのですよ。いつもは、「ヘタレおかん」でいいってことね(笑)


 【参考記事】子どもをガミガミ叱ってばかりで自己嫌悪に陥っているあなたへ伝えたいコト


3、親の学びとは子どもが自分と違う葛藤を受け入れること

自分のコトバが言えるように練習する


 おかん塾でも親業訓練一般講座自己実現のための人間関係講座で、内外一致の「わたしメッセージ」は何度も何度も復習しています。

 

ほとんどの人は「ほんとうの感情」を見つけることに慣れていません。なので、いざとなると、色んな感情が絡み合って、折り重なって、見えなくなってしまっています。


でも、練習していくと、はじめは「イヤ」だけの感情だったのが、「情けない」や「もどかしい」「やるせない」などの感情がハッキリとみえてきます。

 

さらに、丁寧に感情を紐解いていくと、他の感情も少しずつ見えてきます。そしたら、「本当の問題点」がわかってきますから、スッキリとクリアになっていきます。


で、相手に言いたいコトバも「バシッ」と決まる!

 

こういう作業の経験がない方が多いのです。「今までこんなこと考えた事が無かった」「自分の気持ちを考えるのが難しい」と言われるところ。ですが、感情の整理がしっかりとできていると、ブレずに過不足のないコトバを、自信をもって伝えられますよ。

 

親業の方法で作るコトバは、内外一致してて、迫力がありますから、子どもの心に素直に届きやすいです。

  

葛藤を内包するのが大人であること

 

河合先生の本には好きな言葉がたくさんありますが、「葛藤を抱え続けられるというのがおとなの条件」という言葉もとても深いコトバです。

 

親として、子どもを尊重したいけど、でも現実には、子どもの身勝手な行動が許せない。

 

子育てには、こういう「相反する気持ち」はが付き纏います。


頭では理解しているけれど、いざとなると、想定外の事件に不安を感じてしまうときなど、親は「葛藤」を感じます。


おかん力とは、葛藤力をどれだけ持ち続けられるか?なのかもしれません。

 

理想と現実の中での葛藤こそが、一番の苦しさであり、乗り越えていくべき難関。

 

子育てとはそんな場面の連続であり、まさに人として成長できるチャンス!です。


そして、人はぶつかる事でも成長します。


人間同士の「衝突」を、私たちは避けようとしがちですが、そうではなくて、「正しくぶつかる」ことのほうが、ずっとずっと健康だし建設的なんですよね。

ここ、私も間違ってたんですけど、今では本当にそうだと思っています。

これができると、「雨降って地固まる」みたいに、人間関係の大逆転が起こります。

なので、親子関係の問題を、丸く収めようとするのではなく、親子関係に問題がある事を「あきらかに」して、そして、正しく対決することをお勧めしています。

そのためにも、「ぶつかれる子」「ぶつかれる親」をめざしましょう!

軽く書きましたが、これがとても難しいですよね。

なぜって、私たちの世代にとっては、自己表現は「自己主張」「わがまま」とみられてタブーだったし、正しくぶつかることなんて、学んでいませんから。できれば避けたいものだからです。

親がそもそも「対話」は不得手です。

 

自分が苦手で避けたいと思っていることは、子どもにも教えらません。

 

だから「ケンカ」が苦手だし、人間関係やコミュニケーションがますます苦手になっていく人が増える原因になっていくと思うんですよね。トホホ